インスタントラーメン
- 公開日
- 2022/09/18
- 更新日
- 2022/09/18
お知らせ
1971年の9月18日は、 日清食品が世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売した日だそうです。
お湯を注ぎ、数分待つだけで食べられるインスタントラーメンです。
いまや世界中で愛されるこの食品を開発した元祖が、日清食品創業者の 安藤 百福 さんだそうです。NHK連続テレビ小説『まんぷく』のモデルともなりました。
「ミスターヌードル」と呼ばれた 安藤さん、彼が1958年に発明したインスタントラーメンは、いまや「世界食」となりました。
また、安藤さんが創業した日清食品も大企業へと成長しました。
しかし、安藤さんの生涯は決して順風満帆なものではなかったそうです。
若くから実業家として活躍しましたが、一度は全財産を失っているし、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」発売時には、すでに48歳を迎えていたそうです。
そんな安藤さんは、こんな言葉を残しているそうです。
「人生に遅すぎることはない。この発明にたどりつくために、私には48年の歳月が必要だった」
発明の突破口となったのは、安藤さんの妻である仁子夫人が台所で揚げていた「天ぷら」だったそうです。
水分をはじき出しながらカラッと揚がる様子を見て、「油熱」による乾燥法がひらめいたといいます。
1958年8月、安藤さんは「チキンラーメン」を発売、麺に鶏ガラや香辛料を煮詰めたスープを染み込ませ、お湯を注ぐだけで食べられます。
当時は「魔法のラーメン」と呼ばれ、瞬く間に爆発的な人気を集めました。
仁子夫人は、安藤さんから「ラーメンの仕事をやるぞ」と最初に言われた時、「どうせやるなら日本一のラーメン屋さんになってください」と激励したといいます。
それに応えるかのように、日清食品は創業からわずか5年で年商43億円の企業に成長したました。
そして、そのチキンラーメン発売から13年後の1971年、安藤さんは61歳にして、再び世界を驚かす新商品「カップヌードル」を発明しました。
「袋麺からカップ麺へ—。」は、小さな変化に思えますが、これによって日本生まれのインスタントヌードルは、国境を超えた広がりをみせることになります。
ヒントを得たのは、66年の米国市場視察の時だそうです。
チキンラーメンを現地のバイヤーに売り込んだものの、近くにどんぶりや箸がないため、すぐに食べることができませんでした。
すると、スーパーの仕入れ担当者たちは麺を2つに割って紙コップに入れ、お湯を注いでフォークで食べ始めたそうです。
これを目の当たりにした安藤さんは、「食習慣の壁を越えることが世界進出のカギになる」と直感し、再びさまざまな知恵を結集し、5年間の試行錯誤の末、使い捨てカップ入りのカップヌードルを世に出したそうです。
ところが今回は、発売後に新たな壁が待ち受けていました。
袋麺より価格が高いことが敬遠され、売り上げはいまひとつだったそうです。
しかし、粘り強く営業を続ける中、翌年にチャンスが訪れました。
きっかけは、日本中がテレビの前にくぎ付けとなった「あさま山荘事件」、弁当も凍りつく極寒の地で過激派が人質をとって立てこもる中、警察機動隊員の食事としてカップヌードルが活躍したそうです。
湯気を立てた麺をおいしそうにすする隊員たちの姿が繰り返しテレビに映り、人気に火がついたとのこと。
そんなカップヌードルが大ヒットすると、各国のメーカーが続々と参入し、「インスタントラーメン」という新ジャンルが世界中で確立しました。
安藤さんは「業界内の競争と切磋琢磨があってこそ企業が成長する」と考え、特許を独占することなく、広く使用許諾を与えたそうです。
これが巨大な市場を生む要因となり、結果として日清食品自体の成長にもつながったそうです。
成功を収めても、その探究心は晩年まで尽きることはなかった安藤さん。
2001年、安藤さんは91歳にして「宇宙食ラーメン」の開発を宣言し、自ら陣頭指揮を取り、スープにとろみをつけ無重力状態でも飛び散らないようにするなど工夫を重ねた新製品「スペース・ラム」は、05年7月に野口聡一さんが搭乗するスペースシャトルに搭載されたそうです。
2007年1月5日、安藤さんは帰らぬ人となりました。
96歳。日清食品の初出式で「年頭所感」を発表した翌日のことだったそうです。
ニュースは世界を駆け巡り、米紙ニューヨークタイムズは「ミスターヌードルに感謝」と題する社説を掲載したそうです。
生涯を閉じる瞬間まで現役を貫いた安藤さん、本社の会長室の裏には調理場があり、常に商品開発に励んでいたという逸話も残っています。
数多くの名言も残しましたが、最も知られているのは伝記のタイトルにもなったこの言葉かもしれません。
「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い」
自らが逆境を乗り越えてきたからこそ、この泥臭く、厳しく、温かい言葉は、人々の胸を打ちます。
そして、新しい挑戦を続ける人々にも確かな勇気を与えてくれる素敵な言葉のひとつです・・・。